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2023.10.17Story

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津南のブナの森で、自然の奥深さ、癒しと再生を体感する

本間 大樹

美しいブナの森にいるだけで、不思議と心落ち着きリフレッシュできる。いまや貴重な観光資源にもなっているブナ林だが、じつは妻有地区の深い雪がその植生に関係している。ブナ林を体感することで、縄文から現代までの私たちの歴史と生活、自然との向き合い方がわかる──
その美しい姿から森の女王と呼ばれているブナの木。その林は「極相林」だけに下に灌木などがなく、スッキリとしているのが特徴だ。その美しい光景から最近は観光資源として大切にされている

ブナ林は雪深き土地の極相林でもある

南は苗場山や鳥甲山などの高峰から、信濃川沿いに東に向かって延びる南魚沼の山並み。北から西にかけては長野県との県境に沿って走る山体と、松之山方面に至る山々……。四方を山に囲まれた津南には、豊かな森林が広がっている。

なかでもこの地に多いのがブナの森だ。苗場山麓ジオパークの専門員である中澤英正さんは説明する。
「落葉広葉樹であるブナの木は通常、標高500mから1600メートルくらいの範囲で植生します。ところが津南のような雪深い場所では200mくらいの低い場所からブナ林が見られるのが特徴です」

ブナの実は乾燥に弱い。津南などの妻有地区は豪雪地帯で有名だが、同時に東北や北海道のように雪下は氷点下まで下がらない。湿りけがあり、「温かい雪」が降り積もるこの地の、地理的、気象的な環境が、ブナの木にとって最適なのだと言う。
「日本海側を始めとして東北地方にかけて広く分布していますが、要は雪が深い地域であることがポイントです。いわゆる北緯37度線上の、温帯域における豪雪地帯という特殊な環境が、ブナの森にとって格好の環境なのです。隣県である長野県にはあまりブナ林が見られないのも、やはり雪が少ないからでしょう」

ブナ林は極相林と呼ばれる。極相林とは自然状態で放っておくと最終的に行きつく林ということだ。岩や土の様な裸地に最初に生えるのは一年生の植物で、そのうちにススキやチガヤのような多年草が取って代わる。しだいに土壌が豊かになってくるとヤマツツジなどの低木の先駆樹が生え、やがてシラカバやケヤマハンノキなどの高木に代わる。

以上は明るい太陽光の元で繁殖する陽樹であるが、陽樹林が茂り根本の方に光が届かなくなると、いよいよ陰樹の出番だ。少ない日照量でも育つヤマモミジなどが次第に繁殖し始め、陽樹の成木に陰樹が混ざり込んだ混交林ができる。
そして陰樹の高木が植生すると、もはや陽樹はいっさい育たなくなる。そして以後はブナやミズナラなどの陰樹の高木の林として安定する。

ならば、今のブナ林ははるか昔から続く原生林なのだろうか?
「いえいえ、原生林はほとんどありません」と中澤さん。「ブナ林は一度は切られているものがほとんどでしょう」
また、ブナの木は乾燥すると歪みが生じるため、昔から建築材としての用途はない。建築材を確保するため、ブナを伐採した後にスギを植林することが多かったという。

ただ、最近はスギの需要が減り、ブナをあえて植えるケースも出てきているという。とはいえ、ブナは成長するまでに時間がかかり、20年から30年くらいたってようやく成木に成長する。比較的短い期間で成長するスギに比べ、長いスパンで先々を見据えて植林する必要があると中澤さんは指摘する。

かつて伐採後はスギが植えられることが多かったが、最近はブナ林を守る動きが強くなってきたと苗場山麓ジオパーク専門員の中澤英正さん

ゆったりとしたブナ林の景色──じつはそこには厳しい競争が

ブナの木は真っすぐに伸び、緑の葉を天に向かって広げる。ブナ林を訪れた人は、その美しい姿に魅入られる。そのたたずまいは「森の女王」と呼ばれるにふさわしい。中澤さんに案内されて近くのブナ林に足を延ばした。
「きれいでしょう? スギ林だと地面にはもっといろんな草木が生い茂っていて、鬱蒼としていますが、ブナ林はスッキリとして清浄な空気感が漂っているんです」

9月とはいえ30℃を超える暑い日だったが、ブナ林の中はひんやりと涼しい。それもそのはず、上を見上げるとブナの枝々から広がった緑の葉が、一面に空を覆い、暑い日差しを遮っている。
「とにかく少しでも多く太陽光を葉で吸収し、光合成を行える樹木が成長していきます。ですから風で他の木が倒れたりすると、その空いた空間に周囲の木々の枝が一斉に伸びていき、いち早く自分の領域を広げようとする。下から覗いて見えていた空も、ちょっとすると枝葉で覆われてしまいます」と、中澤さんは木々の間の激しい競争を語る。

「まずブナの木は高くなることを目指します。少しでも高くなった方が有利だからです。ただし、だいたい20メートルくらいで成長が止まる。あとはいかに葉を広げるか? 頂上部の枝葉ほど上に向かって垂直に近く延び、木の下になるほど、枝と葉は水平に近く広がっています。そうやって少しでも効率的に太陽光を得ようとしているのです」
他の木との距離や成長のスピードなど、さまざまな要因が重なって、勝ち残っていく木はどんどん幹が太くなり、さらに葉を広げていく。
それに対して、条件が悪く劣勢に立たされた木はなかなか成長することができず、与えられる光が限られ幹も細く弱弱しい木になる。中には枯れてしまうものも。
極相林として他の種類の木との競争に打ち勝った後は、ブナ同士の競争がある。ゆったりとした時間が流れているように見えるブナ林だが、日々見えない戦いが繰り広げられているのだ。

まるでパッチワークのように枝と葉を広げ合うブナの木々。たとえば風で倒木などがあり少しでも空間が空くと、周囲から光を求めて枝が伸び葉が広がっていく。あっという間にまた緑に埋め尽くされてしまう

ブナと雪国の人々との、古く深いつながりとは?

ブナと人との付き合いは古い。津南など妻有の地域が豪雪地帯になったのは、今から約8000年前、縄文時代の中期だ。対馬海峡が広がり、暖流が日本海に流れ込むことで、冬に大陸の冷たく乾燥した季節風が海を渡る際、大量の水蒸気を蓄え巨大な雲として日本列島に押し寄せるようになった。それが4mを超える積雪をもたらし、世界有数の豪雪地域となった。

雪と共に現れたのが先ほども説明した通り、発芽の際に湿気を好むブナだった。
「ブナは固く締まっている木なので、燃料としては火力が強く持ちがいい優れモノ。おそらく縄文時代の人たちも燃料用として重宝したはずです。じつは7年に一度しか花が咲かず実が付かないので、ドングリのように常食とはなりませんでした。ただ、その栄養価は高く、実が付いた年は貴重な食糧源となったはずです」

ブナの森に足を運ぶと、足元がフワフワと柔らかいのに気づくだろう。このフワフワがじつは大きな意味を持っていると中澤さんは言う。
「ブナの葉は腐りにくい。ですから葉が落ちて堆積しても、すぐに腐葉土にならずこのようにフワフワとしたスポンジ状の層になります。これが水を吸い込み強い保水作用をもたらすのです」

ブナ林の下がこのようにフワフワの層であることで大量の水が蓄えられ、しかも濾過されきれいな水となる。この豊かな保水力が、津南地区だけでなく、松之山や南魚沼など、山間地の農業を営む上で大きな要素となったと中澤さんは力説する。
「加えて津南地区は信濃川などが作り出した雄大な河岸段丘に、苗場山のかつての大噴火による溶岩が流れ出した特殊な地形です。ただでさえ湧水に恵まれている上に、ブナの森の保水力、豪雪による保水力が加わった」
山に囲まれた土地でありながら、これほど豊かできれいな水に恵まれている地は珍しい。縄文時代はもちろん、農業がおこなわれた弥生時代もこの山間地に人が暮らしたのは、豊かな水、そしてそれを支えたブナの森の存在が大きい。

ブナは春になると他の木々よりいち早く若葉が芽吹くという。
「4月の早い時期、まだ雪がたくさん積もっている頃にブナの森が薄茶色くぼやけて見えるようになる。すると私たち地元の人は『春が来たな』と感じるのです。そして雪があるうちにブナの木を切って薪材として運び出す。雪が積もっているからその上を滑らせて一直線にふもとまで運ぶことができる。早いうちから薪にしておけば、夏を超える間に木が乾燥するのでいい薪になるのです」
ブナと地域の人びとの生活、そして自然環境、すべてが密接に関わり、長い歴史の時間を紡いできたのだ。

ブナの落ち葉は腐りにくくそのまま堆積する。そのため林床は腐葉土になりにくく、フワフワのまま。ブナ林の保水力の高さはこのフワフワの堆積物によって成り立っていると中澤さんは説明する

五感を解き放つ森林セラピー基地として認められる

美しいブナの森は癒しの効果も抜群だ。津南森林セラピー推進協議会、ぶなもりの会会長の岡村昌幸さんは語る。
「津南のブナの森は2008年に森林セラピー基地として認められました。林野庁の外郭団体である「森林セラピーソサエティ」が認定するもので、現在全国65か所が認められています。新潟県は私たちの津南と、妙高市の2か所だけです」
森林セラピーとは科学的な裏付けされた森林浴のこと。森林セラピーソサエティの専門家が、科学的な実証実験を行い、セラピー効果を数値化して検証する。

「実際、津南の認定の際も専門の認定委員が派遣され、ブナの森と長岡駅の周辺に被験者5人ずつが1日過ごした後、血中のストレスホルモンであるコルチゾールの数値や心拍数などを測りました。明らかにリラックス効果が認められ、認定に至りました」と、岡村さんは話す。

そもそも森の中は木々の発するフェトンチッドという物質が多く、それがリラックス効果を生むといわれている。「フェトンとは、木が害虫の被害を受けないために発散する防虫成分だと言われます。ただ、人間にとってはそれが癒しの効果をもたらすのです」(岡村さん)

ちなみに「森林セラピーソサエティ」のサイトでは、森林浴の効果を次のように挙げている。

  1. ストレスホルモンの減少
  2. 副交感神経の活動が強まる
  3. 交感神経の活動が弱まる
  4. 収縮期・拡張期での血圧が下がり、脈拍数が低下する
  5. 心理的に緊張が緩和し、活気が出る
  6. NK(ナチュラル・キラー)細胞が活性化し、免疫力が高まる
  7. 抗がんタンパク質が増加する

これらの効果によってストレスが軽減され、免疫力が高まり、心身共に健康になるということだ。岡村さんは、「NK細胞の活性化は1か月続くとされていますから、ひと月ごとに森に入れば、免疫力はずっと高いまま維持できるということです」と、その効果を強調する。

ただし、「森林セラピー基地」として認定されるにはこれらのリラックス効果の数値以外にも条件がある。ひとつは森林セラピーを十分に体験できる遊歩道「森林セラピーロード」を2本以上備えていること。もうひとつは資格を有した「森林セラピスト」と「森林ガイド」がいて、森林浴を通じて心と体の健康を増進する案内ができる体制が整っていることだ。

つまり人的、環境的なインフラが整っていることで、実際に森林を訪れた人にセラピー=癒しの体験を十分にしてもらうことができるのがポイント。
「私たちのコースは実際に歩くと1時間ちょっと。ただ、ゆっくりと森と親しみ、できるだけ森の空気を吸い、セラピー効果を体感してもらえるよう心がけています」
参加者の方々にはブナの木に抱き付いてもらったり、森の中で横になり目を閉じてもらいます。自然の中で無音の時間を過ごしてもらう。中にはぐっすり眠ってしまう人もいるそうだ。午前9時からブナの森に入り、3時間ほど散策した後、見晴らしの良い場所で食事をする昼食をとる。
「それも野菜や山菜など、地のものを中心にしたお弁当などで、津南という〝土地〟を味わってもらえるようにしています」と岡村さんは話す。

落ち葉でフカフカの天然の床に横になり、ブナの森を体全体で感じてもらう。都会生活では絶対に味わうことのできない、究極の癒しとリラックスの時間がもたらされる 提供/津南町森林セラピー推進協議会
高台から蛇行する信濃川の雄大な流れを眺めつつ、地元の食材をふんだんに使ったお弁当で昼食をとるのもツアーの楽しみ 提供/津南町森林セラピー推進協議会

雪による諦めと再生──ブナの森が教えてくれた自然の摂理

「私たち現代人、特に都市部で生活している人は、日々五感を閉じながら暮らしています。たとえば満員電車の中では誰もが息を殺し、体が密着しても不快感をあえて感じないよう、目を閉じてあらゆる感覚をシャットダウンします。満員電車は極端にしても、現代社会で生きるためには、感覚が鋭いと苦痛になります。むしろ感覚を鈍らせなければやっていけません。森の中でリラックスし、木に触れたり、木々の香を吸い込みながら林の中で寝ることで、「閉じていた五感を開く」ということが森林セラピーの一番の効果であり、目的だと考えます」

現在、森林セラピー体験ツアーは年間で5回ほど行っているという。
「大々的に宣伝して多くの人を集めるということは考えていません。本当に森の良さを知ってもらうには1回当たり5人までが限度です。それで良かったと思う人がリピーターになったり、新たに口コミで広がったりして続いています」
大勢だとなかなか静かに森を散策するということが難しくなると岡村さん。少人数で回ることで森林セラピー効果は高くなる。参加者は新潟市や長岡市など県内の都市部の人が比較的多いそうだ。
「今のところ女性が多いでしょうか。男性は奥様に勧められて一緒にという方が多い。今後は男性参加者も増えてもらえればと思います」

岡村さん自身、学校を卒業してから20年近く、東京など関東方面で仕事をしていた。
「外に出て初めて、津南という私の生まれ故郷が特別な場所なのだと気が付きました。たんに故郷だからということではなく、豊かな自然があり、食があり、そして温かい人たちがいる。若いうちはとにかく外に出たかったのですが、いまは地元にこそ宝があると実感しています」

岡村さんが強調するのはこの地に降る深い雪だ。
「雪がすべてをリセットしてくれます。深い雪の中では農作業はもちろん、いろんなことを諦めなければなりません。諦めることができるから、リセットすることができる。そして春になると草木も動物たちも、そして人間もすべてが動き出す。リセットがあればこそ再生の燃え上がるような力を感じることができる。いずれにしても、すべてはここに降る深い雪がもたらしてくれるのです」

晴れていても、雨の日でも、ブナの森は美しい──。岡村さんが最も好きなブナの森は春先、雪がまだ残りながら、新緑の芽が吹きだしている頃の森だという。
「まさにリセットして、一気に再生する。そんな自然の輝きが一番感じられるのが、雪の残る新緑のブナの森なのです」
ブナの森で私たちが癒され力を得るのは、そんな自然の摂理と波動が伝わってくるからかもしれない。

晴れた日もいいが、雨や霧にけぶるブナ林も幻想的な趣があり美しい。このほかにも5月のまだ雪が残る中での新緑の時期も見ものだという 提供/津南町森林セラピー推進協議会
岡村さんが最も好きなまだ雪が残る5月の新緑のブナ林 提供/津南町森林セラピー推進協議会
ブナの巨木の間でポーズをとる岡村昌幸さん。津南の自然の良さをもっと知って欲しいと森林セラピーを続けている 提供/津南町森林セラピー推進協議会

本間 大樹

ほんま たいき|1963年、新潟市生まれ。早稲田大学を卒業後、東京の出版社で単行本や雑誌の企画・編集に携わる。2007年独立し、フリーの編集兼ライターとなる。2012年、Uターンして新潟市の実家に拠点を移しながら活動を続ける。現在、単行本の執筆、地方新聞の企画記事作成と共に、新潟市安吾の会に属し、企画運営を行いながら様々な文化活動を行う。主に新潟・佐渡を中心にした文化・歴史の取材、記事作成に携わりながら、あらたな地域の可能性を探る。

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