2024.12.24Story
#創造雪大地
「アケヤマ-秋山郷立大赤沢小学校-」で秋山郷の歴史と生活を学ぶ──
文本間 大樹
#創造雪大地
文本間 大樹
2021年に閉校した津南町立中津小学校大赤沢分校が新たな学び舎=「アケヤマ-秋山郷立大赤沢小学校-」(以下、アケヤマ)としてリニューアルした。中津川沿いの急峻な渓谷に集落が点在する秋山郷は、日本の秘境百選の1つとして知られる。同時にそこには開けた地域とは異なる固有の生活と文化が育まれた。それは本来人間が持っている文化や知恵の原型といっていい。その原型を再び取り戻し残すためにアケヤマにアーティストが集い、アートを通じてこの地の歴史と文化を知る学校として生まれ変わった。アートと秋山郷の知恵が融合したアケヤマをレポート!
新潟と長野をまたがる秋山郷の中間地点に大赤沢集落がある。2021年、集落の学校である津南町立中津小学校大赤沢分校が閉校した。その廃校舎を利用し秋山郷の歴史や文化を学ぶスポットとして新たに作られたのがアケヤマだ。2024年7月から開催された「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024」の目玉会場となり、多くのアーティストが作品を展示し、ひときわ注目を集めた。芸術祭終了後もアケヤマは期間限定で展示公開やワークショップが行われていくそうだ。
津南町役場観光地域づくり課の石沢久和さんの案内でアケヤマに向かった。主に中津川沿いを走る国道405号線は険しい崖の淵を蛇行しつつ、車1台がやっと通れるくらいの道幅しかない箇所が続く。知らずに車でこの道を大赤沢に向かうと面食らうに違いない。
ところが石沢さんは清水川原の集落を過ぎたところで国道を左に入り山奥へと向かう道に車を進めた。「こちらは林道になるのですが、ずっと道幅が広くストレスなく走れます」。中津川の右岸の山中を走る林道は、舗装された2車線の立派な道路だ。「このまま大赤沢まで続きます。初めて来た人はナビを使いますが、ナビだと国道を優先表示しますから、あの細い道に大変な思いをさせられることになります」と石沢さんは教えてくれた。
津南町役場から車で40分ほどで大赤沢集落にあるアケヤマに到着した。白い鉄筋の建物が立っていて、門柱には「秋山郷立大赤沢小学校(※)」というプレートがはめ込まれ、その横にアケヤマと白い文字が加えられている。大赤沢小学校は1986(昭和61)年に中津峡小学校大赤沢分校から独立し、1998(平成10)年まで存在した。その後、中津小学校の分校として存続していたが、2011(平成23)年に休校となり、2021年に閉校となった。
※「秋山郷立」というものは実際には行政区として存在するわけではなく、施設名称の一部としてアケヤマ監修のアーティスト深澤孝史が名付けたもの
その門柱の上に秋山郷に特有の「薪ニオ」が積上げられている。校門の上に積みあげられた薪ニオは、「秋山郷タワー」と名付けられたアート作品だが、薪が主要なエネルギー源である秋山郷の特色を現わしている。雪に閉ざされ、長く寒い秋山の冬を越すには、大量の薪が必要になる。そこで保管のために薪をたくさん積み上げておく。「秋山郷の薪は高く積み上げても崩れないように長いのが特徴です」と石沢さん。中には高さ4m近くに達するニオもあるという。ストーブやジロ(囲炉裏)で燃やす時は半分に切って使うという。
ニオは一番下に石を並べその上に薪を積み上げていく。上からはかつては茅や杉皮を掛けたが、その後はトタン、現在はブルーシートに変わったそうだ。「下に石を敷くのも、上に茅を掛けるのも湿気が抜けて長期間薪を保存する工夫です。この地域の人たちの生活の知恵が詰まっています」(石沢さん)
NPO法人越後妻有里山協働機構の職員でアケヤマ制作担当の渡邊泰成さんが建物の中を案内してくれた。入口から入ってすぐ左の部屋は案内室となっていて、秋山郷の歴史や大赤沢小学校の歴史が一目でわかる展示になっている。奥の壁には「秋山郷と大赤沢小学校の年表」が掛けられている。
1321(元享1)年に初めて文献(市河盛房から子の助房に宛てた市河文書)に秋山郷(あけ山)のことが記された。その後、江戸時代の天明と天保の大飢饉で、秋山郷内も多くの死者を出し数村が壊滅したこと、1810年頃から秋田のマタギが土着し始め、1828年に江戸時代の随筆家、鈴木牧之が秋山郷を訪れたことなどが記されている。
とくに驚いたのは明治時代になって義務教育制度が全国に敷かれるなか、1892(明治25)年から1936(昭和11)年まで、秋山郷は就学免除地域に指定されたことだ。渡邊さんは、「辺境であり、地域の民力が低いということで就学が免除されました」と話す。それは近代化を目指す国家が、ある意味辺境の秋山郷を切り捨てたということでもある。「その時から、子どもたちに隣村に越境してでも教育を受けさせたいという地元民の思いは高まった。地元民の願いと努力により、1924(大正13)年に小赤沢小学校雪中派出所として開校しました」(渡邊さん)
年表によれば、1928年、悲願の大赤沢尋常小学校として独立し、それがその後の大赤沢小学校につながっていった。言ってみれば大赤沢小学校は取り残された辺境の地が自らの存在を周囲に認めさせ、この地に教育を取り戻した象徴でありモニュメントなのだ。
残念ながらその記念碑的存在も2011年に休校となり、2021年には正式に閉校となった。大地の芸術祭総合ディレクターの北川フラム氏は「大地の芸術祭」の構想当初から秋山郷への深い関心があったこともあり、翌年2021年中には学校でのプロジェクトを見据えた企画が始まった。秋山郷の象徴的な存在である大赤沢小学校を、これからは多くの人たちが秋山郷の歴史と自然、文化と生活を知るための新たな拠点として再スタートさせるためだ。
アケヤマとは秋山郷の名称の由来とされている「あけ山」から名前を取った。平安時代から戦国時代時代までの地域の貴重な資料である「市河文書」によれば、集落の人たちは特に自分の土地を決めず、共同で焼畑耕作をしていたという。焼き畑では土地の境界線をはっきり決めることが困難であるため、「土地は私有するものではなく共有するもの」というのが、この秋山郷の人々の歴史と伝統であり、特有の意識だと渡邊さんは言う。
「しかも、厳しい自然と里から離れた不便な環境の中、あらゆる自然をうまく利用して生活する知恵もある。持続可能性という言葉が最近よく言われますが、秋山の人たちはまさに歴史的にそれを実践してきた先人と言えるでしょう」と渡邊さんは強調する。「秋山郷の生活の知恵や自然に対する向き合い方が、現代社会で私たちが見失ったものを取り戻すヒントになると北川は考えたのです」
北川氏はアケヤマのディレクションをアーティストの深澤孝史さんに依頼した。深澤さんは地域の歴史と生活、人々を結び付けるプロジェクトを全国各地で展開している。2021年末から約2年半にわたって秋山郷に足を運び、フィールドワークやリサーチを重ね構想を練った。「その結果、深澤さんはアケヤマのテーマとして狩猟、信仰、山の素材と技術という3つを設定しました」と渡邊さんは説明する。
深澤さんはブログの中で、「知れば知るほどに、秋山というのは僕1人で手に負えないほど深い場所」と漏らしている。複数のアーティスト招聘し、分野ごとに作品を制作発表してもらうことにした。狩猟の領域を秋田県出身の永沢碧衣(あおい)さん。信仰の領域を内田聖良(せいら)さん、山の素材と技術の領域を井上唯さんが担当する。そのほか会場構成は一般社団法人コロガロウの佐藤研吾さんが担当し、さらに以前から展示していた山本浩二さん、松尾高弘さんの作品も、新作を含めて展示されている。
さて、実際にアケヤマの1階から部屋を見て行こう。案内室から出てすぐの部屋は「続秋山記行『秋山郷の熊猟』」と題したブースになっている。深澤さんが直接担当した部屋で、秋山郷の熊猟の資料や実際の熊狩りの様子のビデオが流されている。
入口にはワダラと呼ばれるウサギ猟に使われる藁で造られた道具が飾られていた。「野山にいるウサギの上に向かって投げると、その様子が鷹に見えるためウサギは巣に頭からもぐり込みます。そこを掘り出して足を掴んで捕らえるのです」(渡邊さん)。以前は秋山郷では広く行われていた方法だが、銃が出てきてからはほとんど行われることはなくなった。
中央部分では「続秋山記行『田口洋美の小赤沢の熊猟の映像』」と題し、1990年代に撮影された熊猟の模様がビデオで流されている。狩猟研究家の田口洋美氏が撮影したもので、熊の解体や腑分けの様子、山の神様への祈りなどが記録されている。「熊は肉はもちろん、皮から骨、内臓まで捨てるところがありません。骨は砕いて煎じて薬として飲んでいたそうです。また熊の胆のうは非常に高価でこの地に住む人の貴重な現金収入の手段になったといいます」と渡邊さんは説明してくれた。
ちなみに熊猟はこの地に住み着いた秋田マタギにルーツを辿る。鈴木牧之は『秋山記行』の中で秋山に住み着いた秋田マタギの人の話を書き記している。彼らは地元の人でも足を踏み入れない山奥で狩や漁を行い、はるか草津温泉まで足を運び、途中で捕獲した獲物を売る生活をしていたそうだ。途中の奥山の山水の自然の景観の見事さは、秘境と呼ばれる秋山でも遠く及ばないことなどが、彼らの言葉として記されている。
さらに奥へ進むと、2006年から妻有地域で木炭彫刻<フロギストン>シリーズを展開し続けているアーティスト山本浩二氏の作品が展示されている。トチやハンノキなどこの周辺に育成する木々から生み出した彫刻を炭化し、それを構成した独特の作品群が存在感を放っている。
その手前の小さな部屋には、同じく山本氏による新作「胸中山水 秋山郷図」が展示されている。秋山郷で見られるクワ、トチ、ハンノキ、カバノキなどを木炭にしたものを画材として用い、左右の壁いっぱいの画面に秋山郷の山水の風景を描いたものだ。「中津川を挟んで東の苗場山、西の鳥甲山をモチーフにしたそうです。会期中も制作を続けていたというのもポイントで山本さんがアケヤマを訪れると、ここでどんどん描き加えて行きます。そこにいたお客さんと一緒に描き進めたりしました」(渡邊さん)
隣の部屋は松尾高弘さんの「記憶のプール」。暗い部屋の真ん中に四角く土で囲われた水槽のようなものがある。これはかつて大赤沢小学校にあったもので地元の人たちが子どもたちのために手作りしたプールを模している。じつはそれ以前には小学校にはプールがなかった。大人たちが子どもたちのために工夫し、土を固めて手製のプールを作った。1971年、当時の小学校の様子を写した写真にプールが映っているのを松尾さんが発見、地元の人たちの子どもに対する思いと創意工夫の証として、再現したものだ。
「実際にこのプールで泳いだ人に聞くと、水は地元の山の水を入れたもので、夏でもとても冷たかったのが印象に残っているそうです」と渡邊さん。水は冷たいけれど、大人たちの子どもに対する暖かい気持ちはきっと伝わったに違いない。壁にはプールで遊ぶ当時の子どもたちの元気な笑顔の写真がたくさん展示されている。この地の1つの大切な記憶を留める作品だ。
※松尾高弘《記憶のプール》は現在は公開終了
2階に向かおうと階段を上ろうとすると左右に行燈のように浮かび上がるいくつかの写真が目に入る。これも深澤さんによる作品の一つで「続秋山記行『見倉の山田平二家の民具と家族写真』」と題されている。2020年、秋山郷の見倉集落の山田平二さんが亡くなり、その家は空き家となった。築200年といわれる母屋にはさまざまな民具や家具、道具があった。また平二さんの父親繁義さんはカメラを持っていて、古きよき昭和の時代の秋山郷の人たちと生活を撮影した写真が残っていた。それらが集められ、2階までの階段の途中に展示されている。中にはかわいらしい子熊と村の人たちが一緒に映った写真もあり、当時のこの地の人々と生活の息遣いが聞こえるような貴重な展示となっている。
2階に上がると真っ先に目に付くのが巨大な「ヤマノクチ」の展示だ。「秋山郷の人々にとって、山は暮らしの場であり、素材そのものであった」と語るアーティストの井上唯さんは、秋山郷の暮らしの場である「山」を会場に再現した。幅15m、高さ6mほどに組まれた格子状板の間に、稲藁やヨシ、オガラやオロ、イワスゲといった秋山で採取される草木がびっしりと並んでいる。いずれも昔から秋山郷での生活にはなくてはならない生活資源だった。
「日常の生活用品が不足しがちな秋山郷では、四季折々に山などで手にいれられる草木が大いに活用されました」と渡邊さんは話す。たとえば薪は貴重な燃料となり、オロ(アカソ)は煮て叩いて繊維を取り出し、アンギンと呼ばれる糸に拠って衣服に編んだ。さまざまな草の蔓は結束用のロープになったし、ネマガリダケはカンジキやカゴの材料に、ホウキグサはその名の通り箒に、オガラと呼ばれる芋づるは焚き付けに使われた。
「ヤマノクチ」は山野に生える草木を採取する解禁日である‟山の口“に由来している。山の資源を共同利用し持続的に活用するために、地元の人たちが昔から取り決めた‟山の口”は、それ自体が生活の知恵であり、同時に自然に向き合う知恵でもある。現代に失われた人間の大切なそれらの知恵を復活させたい。そんな作者の気持ちが「ヤマノクチ」という命名に込められているのだ。
一風変わった作品が内田聖良さんの「カマガミサマたちのお茶会:信仰の家のおはなし」だ。山から魔除けや供養などの仕方を教わる人々が住むという「信仰の家」。そこではカマガミサマたちがお茶会を開いている──。
架空の物語を元に展開するインスタレーションで、作品内の魔除けやおまじないは、かつて秋山郷で実際に行われていた習慣を作者が取材し、再現したものだ。
奥の部屋には布団が敷いてあり、床の間に掛け軸が2本掛けてある。冬の間、秋山郷では雪が深く医師や僧侶が集落にめったには来ることができない。そこで病人の病を軽くしたり、死期に臨んだ人が苦しまずに天国に導かれるよう、伏している人の体の上に「黒駒太子」など特別な掛け軸をかざして祈りを行う。雪深い秋山郷ならではのお呪い、儀式を再現したものだ。
秋山郷の家々ではジロや釜、玄関や便所などありとあらゆる場所に神棚やお札が配置されている。信仰や儀礼が日常的で、とりわけ正月になると家々は釜に餅を置いて枝を立てて祭ったり、木の枝に餅を指して祭ったり、他の地域ではあまり見られない風習や年中行事が残っている。そんな秋山の信仰を再現した空間となっている。
2階の中央スペースで目に付くのが白いドーム状の構造物だ。人一人がようやくかがんで通り抜けられるような小さな入口があり、一見するとカマクラのようにも見える。かつて秋田からやってきたマタギは広大な奥山を駆け巡り猟をする際、リュウと呼ばれる洞窟で休憩した。永沢碧衣さんの作品「山の肚」は、そのリュウをモチーフにしたものだ。
入口から入ると、そこは洞窟のようになっていて、意外に広いスペースになっている。中央奥に小さな囲炉裏のようなものがあり、その周りにムシロのようなものが敷かれている。かつてのマタギは狩猟を無事に行うため、里山の話を語ってはならないという厳しい掟があった。山の中では里とは全く違った時間と物語が進行している。それを乱さないことが大切だ。彼らはリュウの中で一体どんな話を語り合ったのだろうか?
この展示を作る前にアケヤマの関係者と永沢さんは、実際に狩猟民たちが使っていたリュウまで行くことにした。苗場山の向こうにある「棒沢のリュウ」と呼ばれる場所だ。4月だがこの辺りはまだ雪で覆われている。「朝早くに大赤沢を立ったのに、道が険しく夕方になっても到着しない。夜になり視界もなくなり野宿する事に。そのうちに雪も降り出しました。次の日近くのスキー場のリフト乗り場に辿り着き、そこから救助要請してなんとか助かりました」と、渡邊さんは遭難しそうになった経緯を語ってくれた。渡邊さんは「昔の人はその日のうちにリュウまで行って泊まって帰ってきたようですが、すごい脚力だというのを思い知らされました」と語った。
もう1つ、紹介したいブースがある。2階右奥の小さなスペースにある「続秋山記行『山田正道の‟生業と遊びの混然“の生活』」だ。昭和27年生まれの山田さんは、現在1人で見倉の家に住んでいる。同じ見倉の故山田平二さんと一緒に冬山に入り、猟を学んだ。先ほど説明したワダラでウサギを獲る。実際にワダラ猟を行うのはいまや山田さん一人。また山田さんは過疎化により集落で開催しなくなった今でも、子どもの頃から行ってきた正月や小正月の準備や儀式、その他様々な昔からこの地に伝わる年中行事をたった一人で行っている。
秋山郷の民族調査を長年続けてきた故滝沢秀一氏は、ワダラ猟などは生業と遊びが混然としていて、かつての自然採取を基本としていたこの地の生活の姿を偲ばせていると述べている。仕事は辛いものではなく、楽しみや遊びと共にある。だからこそ生きた知恵となり、そこに喜びがある。山田さんのブースではまさに雪山で遊んでいるような山田さんのウサギ猟の様子をビデオで見ることができる。
さまざまな展示が目白押しのアケヤマだが、その他にも「続秋山記行」シリーズとしていくつか展示されている。まず『廣田幸子の民主主義とアンギン」。滝沢氏の薫陶を受けた廣田さんが、自身の出身集落に残っていたアンギン編みの技術を研究し、アカソ繊維を使ったアンギンの復元に成功した。その活動がインスタレーションで展示されている。
さらに『藤ノ木サカ家に朝鮮人労働者から送られた庭石、または慰霊碑」では、大正時代、中津川水力発電所の建設工事に従事していた朝鮮人労働者が、常宿していた藤ノ木家に送った火山岩が展示されている。近代化の中で重労働に駆り出された労働者、とくに朝鮮人労働者が少なからず存在する。
そんな中で差別なく宿を貸してくれた藤ノ木家に感謝のしるしとして、朝鮮人労働者が工事中に見つけた何十キロもある火山岩を背負い、藤ノ木家に送った。その石を展示することで、近代化が進む中での様々な問題と矛盾、秋山郷のもう1つの記憶を現在に留めることが狙いだ。
「続秋山記行編纂室」では、秋山郷に関する様々な書籍や資料が集められている。また向かいの資料室では、秋山郷のさまざまな生活シーンをビデオで見ながら、黒電話で音声も聞ける。
人里から離れた秋山郷だからこそ、残された貴重な記憶がある。それは情報化が進み、資本主義が蔓延した現代生活に対して、大きなメッセージを含んでいる。目の前の自然を収奪するのではなく、共有財産として持続的に活用する。目に見えないものや力を感じ、それらを畏れ敬う。厳しい自然や現実と向き合うための素朴な信仰がある。
それらを難しい学問ではなく、親しみやすい芸術という視点から私たちに投げかけてくれるのがアケヤマの特徴だろう。展示だけでなく、秋山郷の歴史や生活風習を学ぶ実践的なワークショップが開かれているのも特徴だ。各アーティストが自分の分野に関して、秋山郷の地で学んだことを一般の参加者に伝授する。
今年は7月から11月にかけて、「ミニカマガミサマづくり」「秋山信仰体験」(内田聖良)や「山の肚でものがたり」(永沢碧衣)、「秋山郷を散歩して測る」(佐藤研吾)などのワークショップが開かれた。また公開制作「ヤマノクチ部」(井上唯)として、アンギン作りや草木の探索&採取、土地のコザワシ作りなどを行った。その他、イギリスの著名な社会人類学者のティム・インゴルド氏や日本史研究者の白水智氏をおよびしたシンポジウムやトークショー等で今後のアケヤマや秋山郷の在り方を地域の方々と共に考えるイベントも実施した。
アケヤマは秋山郷の自然と生活、歴史と文化を伝え、私たちが忘れかけている大事な価値を再び教えてくれる、貴重で稀有な現代人の学校なのだ。
文本間 大樹
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